終戦記念日の8月15日、たまたま戦争を経験した方へのインタビュー記事をニュースで見かけました。中国の満洲にいた方の話で、僕の祖父も数年前に亡くなる前、まったく同じような境遇だったことを思い出しました。

祖父は20代になったかならないかくらいの頃に徴兵され、送られたのが中国の満洲でした。満州国は1930年代から1945年の日本の敗戦まで存在した、実質的には日本の国家のような場所で、当時は日本人が多く住んでいたそうです。世界の中でも戦闘が激しい地域でした。祖父はそこで通信の仕事、今で言う諜報のような仕事をしていて、情報を日本に送る役割を担っていました。すぐ北にはソ連があり、いつ攻めてこられてもおかしくない、緊張が高まっている地域でした。

戦争の終盤、その部隊には「残れ」という命令が出ていたそうですが、祖父はそこを脱走しました。当時、日本軍から逃げ出すことは死刑に相当するくらいのリスクがある行為です。それでも脱走した理由は、このままでは家族の元に帰れなくなると察したからだと思います。

なぜ僕がこの話を知っているかというと、戦争が好きだった兄がおじいちゃんから聞いた話をノートにまとめていて、祖父が亡くなった時にそのノートを見せてもらったからです。祖父は満州から脱走して、そのままどんどん南下して、最終的に日本に戻ってきました。もし脱走していなかったら、単純に戦争で亡くなっていた可能性もあるし、強制労働をさせられていた可能性もあります。当時、満洲にいた60万人近くの人たちがソ連によって強制労働をさせられ、そのうち6万人ほどの人が、労働環境や食糧、衛生環境の問題で亡くなったと言われています。

そういうリスクがある中で、祖父はそうして日本に帰ってきました。この話を聞いて思ったのは、祖父がしてきたことは大事にしなきゃいけないということと、今の日本はもうすごく安全になっていて、リスクを恐れて挑戦しないところがあるということです。日本に限らず、今も仕事をやめられなかったり、自分がやりたいことに挑戦できない人はすごく多いわけです。だけど、今と昔を比べたら、チャンスが生まれているのにそれをつかめないというのは、命と隣り合わせの状況でも行動してきた人の生き様と比べたら、どれだけちっぽけなことなんだろうと思います。

自分が今あるのは、祖父のそういう行動の結果だと思っています。脱走している最中も、ソ連が攻め込んできたり、周りで危険な出来事が起きたりする、決して安全な状況ではなかったはずです。それを踏まえると、会社を辞めたくても辞められない、上司が怖くて辞められないという今の悩みは、昔の命がけの選択に比べたら全然違うレベルの話です。起業するとか、副業を始めるとか、失敗したとしても今の時代はそれで人生を失うことはありません。

今、うまくいっていない、お金を稼げていないと感じている人の多くは、怖がりでくよくよしてしまって、挑戦しようとしても行動に踏み出せていないことが多いと僕は感じています。挑戦してもいい、失敗してもいいという気持ちを持てるかどうかが、結局は一番大事なことなんですよね。この終戦記念日のたびに、祖父が命がけで選んだ行動のことを、忘れずに思い出していきたいと思っています。

記事内Q&A

Q. 祖父は戦争中どこで何をしていたんですか?
A. 満州国で通信、今で言う諜報のような仕事をしていました。ソ連との緊張が高まっていた危険な地域です。

Q. 祖父が脱走したのはなぜですか?
A. このまま部隊に残っていたら家族の元に帰れなくなると察したからだと僕は思っています。当時、脱走は死刑に相当するリスクがある行為でした。

Q. 命がけの状況と、今の仕事を辞める・起業するといった選択はどう違いますか?
A. 全く違うレベルの話です。今の時代、挑戦して失敗しても人生を失うことはありません。祖父の世代の命がけの選択に比べたら、今の悩みはちっぽけなことだと僕は感じています。

この記事のもとになった動画はこちらです。

[終戦記念日に想うこと](https://www.youtube.com/watch?v=F49U5TCx9FE)